あとりえ つれづれ日記

画家の卵のアラフォー女子のブログです。大好きな絵を描く生活のことや、それから感じること、日々のこと、美味しいものや、ペットのこと、その他さまざま、のんび~りマイペースに更新していきます。自分の描いた絵や撮った写真も載せていきます♪ぜひ、お立ちよりくださいm(__)m ☆

私の病気について。

一昨日・・・・・・、午前四時まで起きていて、いささか疲れが出たもよう。。


そして、昨日は二か月に一度の診察の日でした。

私、実は病気持ってます。


統合失調症。


知ってる方も多い病気だと思いますが、19歳の時から患っています。


一度、それらしき症状が出た(妄想・幻覚が現れる)時、私は成人になる手前。一か月前だったでしょうか。

病院訪れて、先生に

「大丈夫だよ。あなた病気じゃない」

と、はっきり言われて。


でも、辛くてどうしようもなくて。

先生に言われて、二日分の薬(軽いものだったと思います)を処方され、家で茫然とした。


専門学校も半年でやめてしまって、人に悪口を言われてる、とか、学校やめてバイトもせずに家に居て、みんなが私をいぶかしげに見てるとか。そんなことないのに。


それで、バイトを始めたものの、幻聴が激しくて、続けられない。

面接に行っては落ち、受かって働き始めても、数か月でやめてしまう。それの繰り返し。


24歳の時に、とうとう裸足で家を飛び出したり、台所のお皿を割りまくったり、奇行ともいえる行動に出てしまって、親に連れられて病院に行った時、入院が必要だと言われた。


三か月ほど、真っ白な壁、真っ白な天井、白いナース服を着た人たちの場所に居て、症状は少し穏やかになったものの、今度は薬の副作用で苦しんだ。


とにかく、入院前は頭が冴えわたって一睡もできない状態が続いたので、退院後は寝まくった。

起きて、しばらくすると、目がぐるぐると回ってきて、呼吸困難になり、手が震え、冷や汗をかき、またベットに倒れこむ。熟睡しないと症状が治らなくて、また目が覚め、そうすると一時間もしないうちにまた、発作的症状が。それを、一日に何度も繰り返す。


一年くらいそういう生活が続いて、

「私の人生終わったな」

と、思った。



そんな時、手を差し伸べてくれたのが、近所に住んでお店を構える叔母でした。


「まいちゃん、人手足りなくて忙しいから、ちょっとでいいから手伝ってよ」

なんの悪意もない、にこやかな笑顔で、そう言ってくれた。


始めは、お店に立って30分とか一時間もしないうちにまた目が回る症状があらわれて、そういう時はいつも、叔母さんは、

「休んでおいで。いいのよ、30分でも手伝ってくれて、午前中の忙しいとき、ほんとに助かるの。少し休んで、またよくなったら、午後からも来てよ」

と、いつも言ってくれる。


その内、一時間しかまともに立てなかった私は、二時間立てるようになり、午前中だけでも大丈夫になって、それでも一日何度かそういう症状に襲われて、辛くてしょうがない時、父も、

「今にいい薬が出るから。しつこく、病院に通おう。で、お薬きちんと飲んで。大丈夫だよ、みんなが居るから」

そう言って、励ましてくれた。


母も病弱で、寝たきりだったりしていたので、代わりに家事も少しして、どうしようもないときはさすがに母も起きてきて、ご飯を作ってくれたり。

家事なんてまともにせず、いつも絵を描いたり友達と遊んでばかりいた私は、初めて料理を作って、あんまり美味しくなかったかもしれないけど、両親は「まあ、こんなもんだよ、はじめは」と気にせず食べてくれる。



十年くらい、そういう生活が続いた。

ほんとに若いころの十年って、貴重だと思う。でも、その間に、病院で知り合った何人かの子と仲良くなって、お茶したり、買い物や映画に行ったり、飲みにも行くようになった。


叔母の店を手伝うようになってからの十年間は、病気になって苦しんだ19歳から24歳までの孤独で不毛だと感じていた日々を払拭するように、穏やかで明るく、優しくて人の温かさとか、思いやってくれる人たちへの感謝の気持ちを感じる日々だった。

独学で、調理師免許をとったり、ずっと気になっていた色彩の勉強をし、三級だけど合格したり。


でも、悪夢のようなめまいは、依然として治らず、

「めまいの症状は薬のせいじゃない」

とか、

「原因がよくわからない」

の一辺倒で、主治医がコロコロ変わるけど、みんなそう言うばかり。


一度、親にすすめられて他の資格の勉強をしようと学校に行こうとしたとき、私は当時の主治医に電話で、言った。

「めまいをなんとしてでも、治したい」


すると、まだ若い女の医師は、

「あなたは薬を適当に飲んでるから。だから、すぐ体調を崩す。あなたの飲み方のせいでしょ」

と、うざったげに言った。

「ここの病院の処方はきれいだから。どこの病院へ行っても、ここよりいいとこないよ」

と言い切る医者に言った。



私、キレました。




「どこの病院だからとか、この病院はきれいだとか、そんなことを言ってるんじゃない。どこの病院だろうが、患者の声をちゃんと聴くのが医者だろう。それなのに何?十年も苦しんでる。病気さえよくなれば、どこの病院だろうが、おんなじなんだよ!」


先生、絶句してたね。

だって、その通りでしょ。


元に、その電話のあった後に、当たった医師は、はっきり

「副作用です。めまいは薬のせいです。新薬がありますので、それだったらきっと、よくなるかも!」

って、言った。

その後、二度先生は変わったけど、精神科の部長の先生さえ、

「薬の副作用ですね。新薬をこのまま続けましょう」



たかが10年。されど、大事な10年。


二十代前半のころ、働きもせず、親の元にいて。バイトしてもすぐやめて、呆れる。と私を切った友人が何人かいた。

みんなには、病気だとかつらいとか言わなかったから。


私は思う。

憎んで、なんであんなやつらと今まで付き合ってたのか。初めは大人しそうで内気なのに、いざ仲良くなると、変わった事を言っては面白キャラでいるばっかりの私。

将来、画家になると言い張る私。

そんな私のことを、「付き合っていてなんだか面白いから」だけで、今まで友達のふりしてた。


でも、考え方を変えれば、それは違う。

十代のころから、異様に人見知りだったり、友人関係に悩みすぎたり、友達もなかなかできなかったり。そんな悩みや、病気になってほんとは私、苦しいんだ。って、もっとちゃんと伝えるべきだった。


かっこつけてた。

私はみんなと違う。なんでこんなに苦しいんだろうって悩んで、そういう時、もっとそれを仲のいい子たちに言えばよかった。

せっかく繋がってた仲を、台無しにしたのは、私のせいでもある。友達だって、本当はわかってくれていたのかも。


でも、病気になった後、音信不通になっていた何人かの友人と連絡を取り合うようになり。

(それは、駅前のミスドで一人でお茶していた私に、小学校時代に一番仲の良かった友達のお母さんが偶然となりの席に座っていて、話しかけてくれた。「連絡取り合って、また仲良くしてよ」と言うので、おばさんのケイタイから○ちゃんにかけて、番号を交換した。今は、立派なお母さんになっている^^)


そんな色んな偶然とか、道ばたである日ばったり会っちゃったりとか、「なんだか声が聞きたい」でダメ元で電話したら、あっさり「私も会いたかった!今度のもう!」と言ってくれたり。



病気になって、悲しいこととか、辛くてそれこそ死のうと思ったこともあった。発作が苦しくて、こんな若いのに、なんで?私だけ?もう、人生早く終わりたい!夢とか憧れとかって、どうせ叶わないんだから、それが却って重荷になって、ギャップで苦しむだけの毎日なんて、もう嫌でたまらない。とか。。


そこから、抜け出して、今三年目。

もう、「若くてぴちぴちだね~#」とは言われないけど。

「まだ、結婚しないの?」

「外で働かないの?家でなにしてんの?」


色んな、勝手なことを、近所の気心知れた人には言われるけど。気にしない!


だって、もうめまいで悩まないから。あっても、一か月に1,2度おきて、ちょっと横になればすぐ治るし。

まだ、対人関係がちょっと苦手で、人を疑ったり、ねたんだり、ダーク細胞8割のへんなやつだけど。



『私は私でいい。だって、私に生まれてこれたんだもの♪』


そう思って。


人間なんて、みんな一点もので、西野カナの「トリセツ」じゃないけど、命は『返品・交換できない』んだし。みんなみんな、違ってて、それでいい♪ 

唯一無二の自分だょ。他人だって、みんなそうなんだよ♪^^


せっかく生まれてきたんだし、親もまだ元気で、弟も元気ハツラツで、毎日いっぱい働いて。

そんな背中を見ながら、私も光射す方を見ようじゃないの!影があれば、必ず光が元にあるんだから。


ちょっと説教くさい感じだけど、不器用なりに頑張って行こう、と思うのです^^。



そして昨日は、疲れが出て、八時にはバタンキューしちゃいました。

今日は、五時には起きてしまい、いとこにラインして、朝ご飯の後に部屋を掃除して、洗濯物も干して。穏やかだけど、こんな日々って、素敵☆たまには都内に遊びに行きたいなあ~☆(あ、ほら、すぐに浮かれるw)



こんな感じです。



最後まで読んでくださった方、ありがとうございます☆

また、お待ちしています。こんな私ですが、どうぞよろしくですw







 


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